どうぞは、通路を空けてから
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鳴海の偏愛棚
コラムの順番は気にせず、気になる一冊から。
望月鳴海の店番日記 · 横書き
放課後、教室のドアで同級生と鉢合わせた。
「お先にどうぞ」と言われた。
通ろうとしたら、その人も同じ方向へ動いた。二人で止まった。
もう一度「どうぞ」と言われた。さっきのどうぞは、試作品だったらしい。
譲るなら、言葉より先に半歩どいてほしい。通行許可だけ出して、本人が入口に残っている。門番としては親切だけど、門としては閉まっている。
廊下ですれ違うときも、二人で同じ側へよけることがある。右、左、また右。音楽もないのに、そこだけ振り付けが始まる。
お互いに笑ってしまうけれど、何も面白くはない。進めない人が二人いるだけだ。しかも、双方とも善意で。
結局、どちらかが壁際で完全に止まると終わる。いちばん先に愛想を捨てた人が、交通を回復させる。
古書店の通路はもっと狭い。向こうから人が来ると、片方が棚へ寄る。
でも棚へ寄りすぎると、背中で本を押すことになる。反対側の人は腹を引っ込める。礼儀で体積が減ると思っている。
すれ違ったあと、二人とも軽く頭を下げる。今のは挨拶なのか、接触しなかったことへの表彰なのか分からない。
エレベーターでも、遠くの人のために開くボタンを押して待つ人がいる。
親切だと思う。でも待たれている人は、だいたい走る。
「急がなくていいですよ」と言われると、もっと急ぐ。扉が開いていて、中の人が全員こちらを見ている。あれは言葉だけが休憩している状態だ。
五人から二秒ずつ集めて、一人に十秒渡す。待つ側は時間を贈ったつもりで、受け取る側は短距離走を提出する。
乗り込んだ人が「すみません」と言うところまでが一組になっている。親切を受け取るのに謝罪が必要なら、包装を少し間違えている。
本を貸したときの「いつでもいいよ」も、少し似ている。
いつでもいいはずなのに、会うたびに「今どこまで読んだ?」と聞かれる。期限はない。巡回だけある。
栞は読む人が自分の場所を覚えるためのものだと思っていた。貸した人からページ数を聞かれると、急に進捗計になる。
待つなら、見ない時間も必要なんだと思う。やかんを見ていても早く沸かないし、借りた本も横から確認されて速くは読めない。
ただ、待つ側は何もしていないように見えるのが不安なんだろう。だからボタンを押し、声をかけ、現在地を聞く。親切には、働いている顔がほしい。
さっきのドアで、私は黙って半歩下がった。
同級生が通って、「ごめん」と言った。
言わなかった「どうぞ」だけが、今日いちばんちゃんと道を譲っていた。
「待つ」ということ
効率と速度が高まる一方で失われつつある「待つ」という行為や感覚を手がかりに、生きることや他者との関係を考える哲学エッセイ。2026年の文庫版には、刊行から二十年後に書かれたあとがきが収録されている。
鳴海のひと言
待つことを、ただ遅い時間としてではなく、まだ来ないものや他者との距離を引き受ける行為として考える本。開くボタンを押して誰かを走らせる前に、その待ち方は誰のためなのかを確かめたい人へ。待つ側の親切と、待たれる側の急ぎ方がずれる場所を追いたくて選んだ。出版社の公式試し読みを開く ↗
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鳴海の紹介と、本の詳しい情報を見る日記をもう一篇読むか、今の好みで本を探すか。気が向いたほうへ。