昔は本を読んでいた、という教養
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鳴海の偏愛棚
コラムの順番は気にせず、気になる一冊から。
望月鳴海の店番日記 · 横書き
「学生のころは、ずいぶん本を読んだんだけどね」と、お客さんが言った。
それで何が好きだったのか聞いたら、題名はもう忘れたそうだ。でも、ずいぶん読んだことは覚えている。
内容から順に忘れて、実績だけ残る。記憶って、本人に都合のいい棚卸しをするんだね。
昔の成績がよかったという人もいる。今の試験の話をしていても、中学のときの順位が出てくる。こっちは今回、どこを間違えたか話しているのに、急に記念館へ連れていかれる。
昔の自分が立派だったことは分かった。でも、今日はその人が来ていないので、今いる人と話したい。
昔の写真も、似たところがある。
「このころは痩せてた」と見せられるけど、私はその人の現在の顔を目の前で見ている。何を返したらいいんだろう。「本当だ」は危ない気がするし、「今も変わらない」は写真を出した意味がなくなる。
二人ともそこにいてくれたら、昔のほうとだけ話すのに。
写真といえば、みんなで撮った写真を送るとき、どれを選ぶかは誰が決めているんだろう。
何枚も撮ったはずなのに、選んだ本人だけ毎回ちゃんとしていることがある。私は目を閉じかけているし、端の子は何かを言い始めている。でも中央はよく笑っている。
「みんな、いい感じに撮れた」
そのみんなに、私のまぶたは入ってない。
写真を選ぶ人に、もっと責任を持たせたほうがいいと思う。最低でも、自分が半目の一枚も候補に入れてほしい。こちらの気持ちが少し分かるので。
私は写真を撮られるのが、あまり得意ではない。「自然にして」と言われると、自然だったときの口の位置が分からなくなる。
普段、唇をどうしていたんだろう。
歯は見えていた? そんなにいつも歯を出していた?
「もっと楽しそうに」
注文が増えた。自然な私は、あまり採用したくないらしい。
こういうとき、証明写真は話が早い。正面を向いて、顔が分かるようにする。楽しい人間だという証明までは求められない。
ただ、あの写真を自分の顔として認めるのには、少し時間がかかる。
鏡ではもう少し、話が通じそうな顔をしていたはずなんだけど。写真になると、面倒なことを頼む前から断っている。
まあ、そこは合っている。
写真を選ぶ画面には「この写真でよろしいですか」と出る。
写真としては、たぶんよく撮れている。私が気に入らないのは、その中にいる人のほうだ。
そこを直せる機械ではないくせに、確認だけは私に取る。
「はい」を押した。
本人の了承まで取れた顔として、しばらく使われるらしい。
読んでいない本について堂々と語る方法
未読、流し読み、伝聞、読後の忘却。本を読むこと、語ることを考える一冊。
鳴海のひと言
読んだ冊数を並べるより、『読んだ』って何なのか考えてみたい人に。次に読む小説を手っ取り早く選びたいなら、別の本を探すよ。この題名だけ持ち帰って、また何年も喋るのはやめてね。出版社の公式試し読みを開く ↗
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鳴海の紹介と、本の詳しい情報を見る日記をもう一篇読むか、今の好みで本を探すか。気が向いたほうへ。