無地にも、字がある
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鳴海の偏愛棚
コラムの順番は気にせず、気になる一冊から。
望月鳴海の店番日記 · 横書き
無地のTシャツを探していたら、胸に英語が三行書いてあった。
花も鳥もいない。ボーダーでもない。そのへんを片づけたあと、文章なら置いていいことになったらしい。
無地にも、だいぶ字がある。
服に書かれた英語は、遠くから見ると模様で済む。近づいて読めた途端、私の発言になりそうで困る。海辺の暮らしを愛している、と言われても、私がいちばん長くいるのは本棚の前だ。
地名だけなら、まだ着られる。行ったことのない町の名前でも、向こうから確認に来ることはないと思う。
ただ、下に小さく「一九八七」とあると気になる。その町に何があったのか。店ができたのか。誰かが生まれたのか。私より先に、Tシャツのほうへ詳しい経歴がついている。
知ったところで着心地は変わらない。でも、知らないまま着ると、聞かれたときに胸を見下ろして調べる人になる。自分では覚えていない字を、人にはずっと見せて歩いている。
日本語だったら、もう少し選ぶと思う。「海辺の気楽な暮らし」と胸に書かれていたら、少なくとも海から帰る人に見える。
英語だと、何も説明していない顔で着られる。読めなかっただけなのに、おしゃれの一部として通るのは少し助かる。
隣の服には、大きく「RELAX」と書いてあった。
これくらいは分かる。分かったので、着たくない。私がむっとしている日に、この服だけが先回りして落ち着けと言いそうだ。
服から本当に聞いておきたいことは、もっと小さく書いてある。
洗濯の仕方とか。
胸の英語は離れていても読めるのに、洗濯表示は脇の内側に隠れている。服をひっくり返して、薄い布を二枚めくる。気楽に暮らす方法より、これを水に入れていいかが先なんだけど。
記号もある。桶に数字。三角にバツ。四角の中に線。
知らない国の旗を一度に見せられている気分になる。意味を調べると、一つずつはもっともな注意なのに、並ぶと急に私を試し始める。胸にはあんなに文字を使ったのに、こっちは絵で察してほしいらしい。
あのタグは、着るとたまに肌へ当たる。
薄くて小さい。触る前に見たら、こんなもの気にならないでしょう、と私も言うと思う。でも着ている間は、脇腹の一か所だけ妙にはっきりする。服の大部分はきちんと柔らかい。そのことが、かえって腹立たしい。
服は平気なのに、服の説明が痛い。
切ればいいのは分かる。前に、縫い目を傷つけないよう少し残して切った。文字はなくなったけれど、短くなった切れ端が、前よりしっかり立つようになった。
売り場で、ようやく字のない一枚を見つけた。色も形も普通で、知らない土地への愛情も表明していない。
私は首元と脇を裏返し、指で縫い目を確かめた。
さっきの「RELAX」も裏返してみた。
脇に、同じタグがついていた。
舟を編む
出版社の辞書編集部を舞台に、馬締光也たちが新しい辞書『大渡海』の編纂に取り組む小説。
鳴海のひと言
服の英語を調べていたら、普段使う日本語のほうも少し怪しくなった人へ。知っている言葉を、別の言葉だけで説明するって面倒そう。でも、そこを面倒がらずに詰めていく人の話は気になる。着なくていいので、言葉が多くても平気。出版社の公式試し読みを開く ↗
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鳴海の紹介と、本の詳しい情報を見る日記をもう一篇読むか、今の好みで本を探すか。気が向いたほうへ。