窓ぎわの棚
目次
鳴海の偏愛棚
コラムの順番は気にせず、気になる一冊から。
望月鳴海の店番日記 · 横書き
学校の落とし物棚に「水筒」と書いてあった。札の上には、黒いふたが一つ。
金曜日に見たときは、ふたの下に銀色の胴があった。月曜日には、ふただけが前と同じ顔で座っている。札のほうは、ずいぶん口が堅い。
「ふたは違うって」
棚の前で立ち止まった私に、当番の人が教えてくれた。水筒を取りに来た人が、胴だけ持っていったらしい。ふたはもう家にある、と。
二日も知らない水筒に付き合って、迎えが来たら自分だけ残された。水筒のつもりで行儀よく座っている場合じゃない。
私は水筒をなくしていない。棚の横の窓を閉めに来ただけだった。窓の留め金を下ろして帰ればいいのに、その札を見ている。
こういう棚には、落としたことを証明しやすい順がある。
名前を書いた人は早い。無記名でも、ペンに歯形があれば、ちょっと言いにくいけど説明できる。丁寧に使った無地の定規はまずい。割れてもいないし、曲がってもいない。持ち主としての仕事をきちんとやった結果、持ち主に向いていない。
私なら、いっそ新品のときに目立つ傷をつける。なくした時のためです、と言えば物を大切にする人にも見える。やっていることは、買ったその日に壊しにかかる人だけど。
傷をつける場所にも向き不向きがある。表に大きくつけると、棚を見た人なら誰でも言い当てられる。裏側の、ふだんは自分しか見ないところがいい。
たとえば、水筒の底。机に置いている間は分からないけど、飲むときだけ向かいの人に見える。名前を書くならそこだと思っていた。向かいに座った人へ、毎回お茶の途中で自己紹介することになると気づくまでは。
持ち主がいなくても、使い方の残っている物はある。この棚には、透明なファイルもあった。右下の角だけが白く折れていた。中に一枚も紙がないのに、そこをつまめば、するっと口が開く。
私はいつも別の角をつまんで、二枚のぴったりくっついた板と格闘している。落とした人の手つきだけなら、先に持って帰ってもよさそうだった。
放課後、あの棚に青い水筒の胴が来た。
当番の人が黒いふたを載せ、少しひねった。すっと閉まった。札は一文字も直さずに済んだ。水筒の方が、札に合わせに来るとは思わなかった。
そのすぐあとに、青い胴を取りに来た人がいた。
「ふたもどうぞ」と言われて、その人は胴を受け取り、底のへこみを親指で撫でた。それから黒いふたを外して、棚へ置いた。
「ふたは、家です」
黒いふたは二回も水筒になって、一度も持ち帰られなかった。私はそろそろ、一人で見つけてもらった方がいいと思う。
次の日、棚の札は書き直されていた。
「黒いふた」
その日、また別の胴が届いた。当番の人は黒いふたを手に取って、札を見て、棚へ戻した。新しい札には「水筒(ふたなし)」と書いてあった。
ふたは、札一枚ぶん隣にいた。
ないもの、あります
「堪忍袋の緒」や「助け舟」など、言葉で聞いても現物を見たことのないものを、商會が取り扱う品に見立てた一冊。ちくま文庫版には単行本から三品が加わっています。
鳴海のひと言
棚にある物と札の名前を見比べているうちに、札だけ先にあったらどうなるのかが気になった。ここでは「助け舟」みたいに、言葉の方は誰でも知っているものが品物になる。助け舟なら、私が受け取る前にまず行き先を見ておきたい。出版社の公式試し読みを開く ↗
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鳴海の紹介と、本の詳しい情報を見る日記をもう一篇読むか、今の好みで本を探すか。気が向いたほうへ。