夕方の光が差す古書店。制服に深緑のエプロンを着た鳴海が、古い木のカウンターに座っている。

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望月鳴海の店番日記 · 横書き

線を引いた人は帰りました

本をめくって読む

古本を開いたら、鉛筆で線が引いてあった。

文章より先に、知らない人の「ここ」が目に入る。私はまだ一行目から読んでいるのに、その人はもう大事なところへ着いて、場所だけ取って帰っている。

線のところまで読んだ。なぜここなのか、よく分からない。

いい言葉だと思ったのか。あとで調べるつもりだったのか。試験に出たのか。本人がいないので、線だけが自信ありそうに残っている。

余白には、小さく「?」もあった。

あなたも分からなかったんだ。

急に親しみが湧く。でも、この先で分かったかどうかは書いていない。質問だけ置いて退席するのはやめてほしい。次に座った人が、続きから考えることになる。

私も教科書には線を引く。大事そうなところを、蛍光ペンで。

大事かどうか分かるほど理解する前に、色を決めている。ひとまず黄色。次の段落も大事そうなので黄色。その次は前の段落を説明しているから、ここを残さないと意味が通らない。

一ページ、だいたい黄色になった。

ここまで塗るなら、最初から黄色い紙に印刷してくれたほうが早い。白く残った接続詞が、かえって目立つ。「しかし」だけ、すごく覚えている。

最近、文具売り場で淡い色のマーカーを見た。目にやさしく、主張しすぎないらしい。

目立たせる道具にも、周囲となじむことが求められている。

試し書きの紙では、くすんだ緑がよかった。落ち着いている。これなら私の理解していない箇所にも、少し教養がありそうに見える。

隣には、五色セットがあった。

五色あると、五種類に分けたくなる。重要、覚える、あとで調べる。残り二色の仕事が決まらない。重要と覚えるも、よく考えるとだいぶ同じだ。

色を使うために、勉強のほうを細かく分け始めている。買った日にいちばん真剣に覚えるのが、自分で決めた色の意味なのはどうなんだろう。

先生の話にも、色がついていれば便利かもしれない。

「ここは大事です」と言われるたびに印をつけていると、あとでノートを開いたとき、大事なところしかない。「特に大事」には星を足す。その上が来たら、星を二つにする。

私のノートでは、同じ試験範囲の中で昇進が続いている。

なのに、いちばん覚えているのは授業の途中の余談だったりする。

この前、先生が、ティッシュをポケットに入れたまま洗濯した話をした。黒い服を出したら白いものがついていて、振ったら隣の服にもついた。洗い直す前に、床を掃除することになったそうだ。

その手順は、一度聞いただけで全部覚えた。

先生は「こんな話はいいとして」と黒板へ戻った。よくない。何の紙だったかも、床をどうしたかも分かったところなのに、急に知らない用語へ戻される。

余談には、書き取る時間がなかった。大事なところは待ってくれる。こちらがペンを持つのを見ると、同じ説明をもう一度してくれる。

忘れそうな話ほど、ノートにきちんと残っている。

試験に先生の黒い服が出れば、私はかなり書けると思う。

そこには、線を一本も引いていない。

この話の一冊

古本食堂

原田ひ香 著
角川春樹事務所・ハルキ文庫

神田神保町の古書店を継いだ珊瑚と、その手伝いをする美希喜を軸に、本と人の出会い、街の食を描く小説。ハルキ文庫版には片桐はいりと原田ひ香の巻末対談を収録。

鳴海のひと言

古本の向こうに、前に持っていた人や、次に探しに来る人がいる。そういう店の話が気になる人へ。線の意味は本人に聞けないけど、本を探している人には、何が欲しいか聞ける。その返事からどんな一冊へつながるのかが気になって、この本を選んだ。蛍光ペンの使い方を直すほうは、また別の話。

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鳴海の紹介と、本の詳しい情報を見る

次は、何を読もう。

日記をもう一篇読むか、今の好みで本を探すか。気が向いたほうへ。